ヨブ記

ヨブ記

ヨブの苦しみとそこからの立ち直りは何を意味していたのか。人生における苦と迷いの原因を探る。神様に疑いを持つ間は真の信仰者にはなれない。人は神理に生き、神様に忠実でなければならない。ヨブ記は人生の指南書。

書籍レビュー

■■■書籍レビュー■■■

書籍レビュー

『ヨブ記』
「ヨブ記」の奥深さに驚きと感動を覚えました。人間の苦しみや迷いの原因、罪と罰、神様と人間の関係、そして救いの道とは――。その謎を次々と解き明かして下さっています。しかも、ヨブ記の神様の偉大さは『バガヴァット・ギーター』と重なり畏れを感じました。

ヨブのように神様を心から信じている人が、どのように神様に対して愚痴が出てしまうのかをリアルに生々しく書かれてあり、また、本来ならヨブを励ます立場の友人がヨブを責め裁いてしまう辺りもリアルでした。本当に人間は弱いのだと。

ヨブ記を読んだ後、出てきた事柄は原因は自分にあっても、出して下さったのは神様が為さったことなのだと思うと、神様の為さったことだから素直に従おうと抵抗なく思えてきて、これでいいんだと思わせていただけました。抵抗している心が問題で、神様はそれを取り除こうとしているだけなのに、いつまでも抵抗し逃げることがいいと思っているのです。抵抗がなくなるとあるのは喜びだけです。神様の道具となって行為できることこそ、本当の幸福と信念を持って日々つとめたいと強く思わせていただきました。

2024/4/2 掲載

『ヨブ記』
ヨブの人柄は清廉潔白、正直で働き者、苦をいとわず楽を求めず、執着におぼれる事もない。神に感謝し敬い、掟を守る者です。その彼が不幸に襲われると人が変わってしまった。なぜ神様はこのようなことをするのだろうかと疑問で読みました。読み進める内に、ヨブを襲う不幸は彼の信仰を本物にするために与えられた課題であり、神の慈悲だったと理解しました。

私は十七年前、突然の倒産を通して神様の大いなる慈悲を体験しました。ヨブの体験とは比較になりませんが、意識の程度に応じた試練を与え、また超えられないものは与えない、全くその通りだと思いました。エリフの言葉で、「グチをいう前に、もう悪い事は致しません、どうぞ赦して下さい、とどうして言えないのか」という所は自己保存を捨てきれない私に刺さりました。ヨブ記で語られている全ては、自分を正しいと自認する者は救いから見放された者です、という事です。神様に生かされている者はこの様にあるべきとの、正に人生の指南書であると思いました。

2024/4/2 掲載

『ヨブ記』
ヨブの三人の友人は、この世の善悪でヨブを責めますが、最後の登場者エリフによって正道の神理が明らかにされ、人の魂こそが本体であり、物質はそのための手段であることを分かりやすく教えて下さっています。ヨブ記のメインテーマは「神への疑いを捨てる」と書かれていますが、それは神への信を日常生活の中で確かなものとしていく生き方にあると感じました。

ヨブは神の試練に会い、すべての物を失って、神をのろいはじめます。その下りは、神を信じていれば悪い事はおこらない、おこっても神の恩寵によってその後は良い事が巡ってくる―という、かつて「信仰とはこういうもの」と思っていた自分自身を反省させられました。そのころの私は、良い事も悪い事も、すべては心の浄化のため、神様が与えてくださったのが今の環境とは思えませんでした。

ヨブは「私は何も分かっていなかった」と認めたときに始めて正しい信仰者の道を歩き始めるとあります。目の前に出されたことに素直に従うことによって、人は初めて光の道を歩み始めると感じました。

2024/4/2 掲載