十戒
現代に生きるモーゼの神理
モーゼの「十戒」は、神が示した人間の基本的戒律であり、神と人間の関係が分かりやすく示されている。戒めの一つ一つは 3200年を経た今日でも色あせることなく輝いている。十戒こそ現代人に当てはまる人生の指針・不変的な物差しである。
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書籍レビュー
『十戒』
冒頭で「変わりやすい人の心をもう一度みつめなおし、参考にして欲しい」とあるように、とても他人事とは思えず、今の自分はどうか、読むたびにいつも気持ちが引き締まります。出エジプトを果たしたヘブルの民は、モーゼがシナイ山に登り40日間姿を見せなくなると、神とモーゼに対して不信の思いをいだき、黄金の子牛の像を祭って、飲めや歌えの狂乱を演じ、主の神と契約を結んで聖なる民となった人々とは、到底思えない変わりようとなってしまいます。しかし、自分自身はどうなのか、同じ過ちを犯していないだろうか。自分の意に添わないことや、つらく苦しく思えることが少しでも目の前に出て来ると不平不満や愚痴の思いに揺れます。それはヘブルの民と同じ過ちを犯していることになっているのでは…と。
モーゼの一団が40年の長期に渡って荒野に逗留した目的は、そうした心と 精神の浄化であり、債務の清算のための「みそぎ」が必要だったといいます。そして「さまざまな欲望にゆれる心を取り払い、神様を見失う夢に心を託さないため、主を心の底から信じ戒めを守る心をつくる。」ことにあったといいます。歴史の考察ではなく、今日の自分自身の課題として読み、心の柱にしています。
2024/3/2 掲載
『十戒』
義理の両親の介護や、子供との不調和で悩んだ時、この十戒を読むと不思議と勇気が湧いてきて明るい気持ちになり、耐えられる自分にさせてもらえました。出エジプトから3000年を経た今日でも、人の心を貫いている戒めや神理に今昔の別はないと書かれていますが、何回読んでも感動し、その都度心が喜ぶのを感じます。これが神理なのだと思います。私の主人は、私が信仰をすることを快く思っておらず、偕和會の集会にはほとんど出席できません。その分、家で堀田先生の本をくり返し読み、心に残った内容を生活の中で実践することを心がけていますが、これまで奇跡としか思えないような数多くの体験をさせていただいています。
今まで主人に信仰を認めてもらいたいという想いにとらわれていましたが、そうではなく、まずは神様を信ずる心と、神様に自分を託す祈りが大切だと感じました。さらに信を深められるよう精進してまいりたいと思います。
2024/3/2 掲載
『十戒』
「十戒」というのは十の戒めですが、今まではバラバラに思っていましたが、つながっているのだということが分かりました。シナイの荒野での生活は、苦しくても抜け出せないし、抜け出すと死を意味するとなると、今の私たちに与えられた環境も同じことのように思われます。辛くてもそこから逃げ出すわけにもいかない。しかし、受けて立つのも不安となると、私たちを導いてくださる方を信じてついていくほかにないということになります。その中でこそ、信仰を深めていけるのではないかと思いました。本文にも何度も書かれていますが、生活が満たされてくると人は神を忘れていく。神を忘れてくるとまた苦しみと不安が押し寄せてくる。だから、辛いこと苦しいことはカルマ(業)を持った人間には必要なことで、神を信じて受けて立つことで不安だったこともそれほどでもなかったことに気がつき、神様の加護にも気がつき、信仰が深まるのだなと思います。
神様を信じること以外に幸福も安心もないと言うことになり、「十戒」は「わたしのほかに、ほかの神があってはならない」にすべて集約されているなと思いました。
2024/3/2 掲載