キリスト・イエスはかつて主なる神を天の父と呼びました。これは何を意味しているのでしょう。ギーターは言います。わたしは生類をあわれむがゆえに生類の心に宿る(10章11)と。即ち、人は主の一子であったのです。
神が愛であり慈悲であるように、人の本性も愛であり慈悲であり、その本性を忘れ自分中心の欲望に生きるようになったときから、人の苦しみと悲しみが始まったのです。
救いは元きた道へ帰ることにありました。神の子の自分を思い出し、それに返るべく自己を神の意に適うよう、神と調和させることにあったのです。
虚心の祈りと三戒(心と言葉と体による行為を正す)はそのために神から与えられたものです。